What a wonderful time! in 維摩会春秋館 (維摩会春秋館で過ごす素晴らしい時)NO23
Relieve yourself!
肩の荷は降ろせるよ!
少しずつ気温が
下がってきましたね
朝晩が寒く感じます
それでも日中は
ポカポカと
気持ちの良い日があると
なんだか嬉しくなりますね
秋の潤いを感じます
先日、そんな日に
高齢の父と
散歩に出かけました
月に2回ぐらい
父と散歩に出かけています
父は肺の難病を
患っています
今年の夏には
緑内障の手術も
しました
耳の聞こえが
悪くなっていて
補聴器が合わないときは
鬱々してしまって
大丈夫かな
と思うこともありました
しかし
今、実家建て替えのために
弟夫婦と一緒に
住んでいるんですね
お嫁さんの料理が
美味しいらしくて
それで弟も
よく面倒を
見てくれているようで
一日に20分か30分ぐらい
歩くようにもなったんですね
今住んでいるところは
緑も多くて
とても気持ちのよいところ
なんですね
びっくりするぐらい
元気になりました
お昼には決まって
回転寿司に連れて行きます
一時あまり食べられない
と言っていて
とても心配したのですが
食欲も戻ってきていて
結構たくさん食べられるように
なりました
そんな父を見ていると
嬉しくなります
お昼を食べたら
その後は
公園に散歩に行きます
プラプラと歩いて行くと
お抹茶とお菓子を
頂けるお茶室が
あるんです
もちろん椅子席で
屋外の席もあります
ダイナミックな日本庭園?
も望むことができるんですね
そこでしばし
ゆったりした後で
その日本庭園を
散策します
季節の移り変わりが
感じられて
日本って
いいもんだな
なんて思ったりもします
そしてその後は
図書館に行くんですね
図書館の中学生以下の
子供たちがよむ読書室で
父が楽しめそうな本を
探して
読んでもらっています
まずは展示してある
目玉の絵本を
いつも読んでもらっています
先日は
父がその絵本を
読んでいるときに
偶然にも
「お釈迦様の生涯」を
描いた絵本を
みつけました
平山郁夫の淡い色彩が
載っていました
読んでいきますと
お釈迦様が教えを受けた
ウッダカ仙人や
アーラーラ・カーラーマ
といったお名前が出てきて
こちら
維摩会の仏教哲学で
教えてもらった!
と思ってとても
親しみを感じました
こんな素敵な絵本が
あるなんて!
子供たちが
この絵本を読んだら
どんなに素晴らしいことだろう!
って思いました
読み進めていくうちに
とても清々しい気持ちに
なりました
父が目玉の絵本を
読み終わりましたので
早速この「お釈迦様の生涯」の絵本を
勧めてみました
父は興味深そうに
手に取って
読み始めました
私は洋書コーナーに
行きました
Kojiki(「古事記」)が
ありましたので
それを読むことにしました
おお
すごい迫力でした!
これも1つの
人間界の真実の姿なのだと!
なんか
ほとばしる力のようなものを
感じましたね
そして
今まで生きてきた
自分の生き様
というものに
思いが至りました
たくさんたくさん
肩に荷物を背負って
生きてきたんだなと
20代の頃
新卒で教育困難校に赴任し
毎日毎日が辛くて
逃げ出したい気持ちで
一杯でした
ここから逃げ出す方法は
ないものだろうか
と考えていました
そのうちに
変わらない道
真実の道が
ないものだろうか
と考えるようになりました
そして
維摩会とのご縁を
頂いたのですね
そこで指導を
受けているうちに
父母に対する自分の見方が
間違っていることに
気付くことができました
それから私は
とても解放されていきました
父母との関係性も
一気に改善されました
それまでは
父母に対しては
怒りの気持ちで
一杯でした
自分の思うとおりに
してくれない
そう思っていたのですね
でもそれは大きな間違い
であることに気付きました
これは大きかったですね!
それからは
父母にたいしては
感謝の気持ちで一杯に
なりました
私を産んでくれて
有り難う!
本当にこんなに素晴らしい両親に
育ててもらうことができました
本当に有り難うございます!
今もそしていつも
両親に対しては
感謝の気持ちで一杯です
母は
すでに他界していますが
いつも見守ってくれているように
思います
本当に
有り難いですね
本当に有り難い!
維摩会に
出会っていなかったら
今の私はないですね
本当に!
両親にもそしてご先祖様にも
心から感謝申し上げます
こんなに素晴らしいご縁を
頂くことができました!
本当に有り難うございます
父は最後まで
「お釈迦様の生涯」の絵本を
読み終えました
お父さん、
どうだった
と感想を聞いてみましたら
不思議だね
不思議だね
こんなこともあるんだね
としきりに
不思議がっていました
良かった!
楽しんでもらえたみたいですね
心がポカポカしてきて
父を無事に送り届けました
Relieve yourself!
relieveは動詞で yourselfは
「(苦痛・心配など)を 「あなた自身」の意。
取り除く」の意。
ここでは文頭にあるので
命令文になり、
「取り除きなさい」の意。
<直訳>は
「あなた自身の
苦痛や心配などを
取り除いて
楽になりなさい」の意。
今日も
ささやかな努力を
しようっと!
Relieve yourself!
肩の荷は降ろせるよ!
What a wonderful time! in 維摩会春秋館 (維摩会春秋館で過ごす素晴らしい時)NO22
A Miracle Happens!
奇跡は起こる!
僕に読めると思いますか?
これ高校3年生の
英語の授業の時のことです
内の学校の生徒の皆さんは
どちらかというと勉強が苦手
熱心に頑張っている生徒も
もちろんいますよ
でもね
3年生になっても
英語がよく読めない
生徒もいるんですね
その生徒がなんと
前回の定期考査よりも
30点も多く点数を
取ったんです!
奇跡というと
大げさかもしれませんが
こんなことがあるのかと思い
びっくりしました
今まで勉強不足だった
のかもしれませんね
しっかり勉強すれば
できるんだな
誰にでも可能性は
あるのだな
と思いました
褒めたら
彼はちょっと得意げに
なっていましたけど
ここで謙虚になれると
いいのですが
難しいことですよね
この生徒について
ちょっと不思議なことが
あったんですね
今英語の授業では
オーストラリアの
グレートバリアリーフについて
学んでいます
世界最大とも言われる
この珊瑚礁地帯は
豊かな海洋自然に
恵まれた地域ですが
土壌侵食といったようなことが原因で
珊瑚礁の白化が進み
死滅しつつある珊瑚の数が
ますます増えている
というのです
この内容が
プレゼン形式で
教科書に
まとめられているんですね
それで
自分の好きなものを紹介しよう
ということで
もちろん英語で
プレゼンをすることに
なりました
生徒には
こんな風にプレゼンするんですよ
とプレゼンの決まり文句を
紹介して
スライドなども交えて
プレゼンの準備を
行うように指示しました
そのときに、また
私がプレゼンの例を
生徒に見せたんですね
選んだのは
「銀河鉄道の夜」でした
この題材を選んだのは
本当に偶然でした
最初私は
日本の浮世絵師で有名な
葛飾北斎あたりをやりたいな
と思っていたんですね
日本の文化を生徒に
紹介してみたい
と思ったんです
それで美術の先生に
北斎の浮世絵ポスターかなんか
ありませんか
と聞いてみたら
アニメがいいよ
と言われて
なるほど
日本のアニメは今
世界中の若者たちからも
愛されているし
生徒にも
うけそうだなと思い
図書館に行きました
最初私は
「となりのトトロ」
をさがしました
以前前任校で
オーストラリアに
生徒を引率していったときに
そのうちの生徒の1人が
「となりのトトロ」を
オーストラリアの生徒に
紹介して
とても喜ばれたときのことを
思い出したんです
でも
「となりのトトロ」は
なかったんですね
それで
目にとまったのが
「銀河鉄道の夜」でした
司書の方にあらすじを
聞いて
これにしようと
思いました
影絵のオリジナル本と
アニメ版の2冊を
借りました
「銀河鉄道の夜」
というタイトルは
知っていたのですが
最初は
銀河鉄道999
と間違ってしまうくらいで
本当に失礼しました
実際読んでみると
結構複雑で
どうやってまとめようか
と思案しました
アニメ版の最後の方に
宇宙の生成と
刹那滅のことが出ていて
著者の宮沢賢治って
仏教の心得がある方なのかな
と思いました
そして
できるだけ簡単にまとめて
生徒には
アニメ版を見せながら
英語で力説しました
アニメ版では
ジョバンニとカムパネルラは
猫で描かれているんですが
星祭りの夜に
ジョバンニが
カムパネルラに
会いに行く途中
黒い丘の上で
星空から舞い降りてきた
銀河鉄道に
ジョバンニが乗るんです
そこにびっしょり濡れた
カムパネルラが
いるんですよね
そして二人の旅が
始まるんです
印象深いのは
亡くなった
若い男性の家庭教師と
彼の生徒だった二人の女子たちが
銀河鉄道に乗ってきたときでした
その3人は
他の大勢の人たちを
助けるために
自分たちは救命ボートには
乗らなかったんです
そして寒くて深い海に
沈んでいったんですね
こうした話を通じて
私は生徒に
How important world peace is!
世界の平和はなんと大切なことか!
How important life is!
命とはなんと大切なものか!
こういったことを
ジョバンニとカムパネルラは
銀河鉄道に
乗ってきた人たちから話を聞いて
学んだのではないでしょうか!
と伝えました
旅の最後に
カムパネルラは
ジョバンニの元を
去って行きます
ジョバンニが
いくら泣き叫んでも
カムパネルラは
戻ってこなかったのです
そしてジョバンニは
夢から
目を覚まします
そう彼は丘の上で
眠ってしまっていたのです
そしてジョバンニは
知ったのです
カムパネルラが
川で溺れていた友達を
助けるために飛び込んだまま
戻らなかったことを!
プレゼンの最後に
オリジナル本にあった
宮沢賢治の
日本語のメーセージを
そのまま紹介しました
世界全体が
平和にならなければ
個人の平和はありえない
というような内容
だったと思いますが
いつもつまらなそうに
授業を聞いている
私のクラスの生徒たちが
熱心に耳を傾けてくれて
特に
先ほどの男子生徒の目が
かーっと見開いているように
見えたのです
私はなんだか
うれしかったです!
この話をすることを
実は少し迷っていました
内容がうまく伝わるか
心配だったんです
でも思い切って
話してみて本当に
良かった!
このことを
司書の方にお話したら
喜んでくれました
そして
やはり宮沢賢治は
仏教の勉強をしていた
とのことで
また、タイタニックで
亡くなった3人の方に
話が及び
亡くなってしまって可哀想
というようなお話を
されたように思います
そうですね
本当にそんなに善い人たちが
亡くなってしまったのは
とても悲しいけれど
その方々の
自分の命を投げ打ってでも
他者の命を助けたいと思う
その気高さに心打たれます
そして
彼らの肉体は滅ぼうとも
彼らの崇高なる思いは
決して滅ぶこと無く
受け継がれていくのではないでしょうか
とお伝えしました
カムパネルラが
友達の命を救うために
亡くなってしまったことも
とても悲しいけれど
彼の命はその友達の中に
生き続けるのではないでしょうか
ともお伝えしました
自分の命を捨ててまでも
相手の命を救う
これは普通
できることではありませんよね
自分の命と同じくらい
他者の命も
大切に思っているんですね
ここには
我欲はみじんもなく
ただただ
気高くて崇高で純粋なる思いがある
人の悪口を言ったり
人を蹴落したり
人を陥れたり
人を言葉や暴力で傷つけたり
そんな世界とは
全く無縁の世界が
あるということを
仏教は教えてくれるのではないでしょうか
それでは実際
自分が
同じような立場になったら
果たして
命を捨てることができるのだろうか
と問われているような
気もしています
そのことを考えると
本当に怖いですね
自分にそんなことができるのだろうかと
と同時に
いざという時が来たならば
堂々と命を賭けられる
そんな人になりたいと
思ったりもしています
臆病な私なのですけれども
ただ、自分の命を捨てたのに
助けようと思っていた人が
助からなかった
そんな命の捨て方は絶対にしたくないです
そして、もちろん
最後の最後まで
絶対に諦めないで
自分と相手が助かる方法を考えたいな
と思います
そんなことを考えながら
「銀河鉄道の夜」を読んで
何度も胸が熱くなりました
まさか英語の授業で
仏教のこのような慈悲心について
語ることができるなんて
思ってもみませんでした
維摩会で
仏教哲学を学んでいなかったら
他者のために命を捨てる
という行為に対して
ただ悲しい、可哀想、気の毒だ
とそういったことだけで
終わっていたことでしょう
でもそれは違いますよね
今日もささやかな努力を
しようっと!
Buddhism makes a miracle happen!
仏教が奇跡を起こす!
A Miracle Happens!
奇跡は起こる!
What a wonderful time! in 維摩会春秋館 (維摩会春秋館で過ごす素晴らしい時)NO21
Total Unwiseness
癡(チ)
Three Poisons extremely strong desire
violent uncontrollable anger
total unwiseness
三毒 貪(トン) 瞋(ジン) 癡(チ)
キンモクセイの香りが
少し前までは
可憐に咲き誇っていましたね
朝、この香りをかぐのが
とても楽しみでした
と思っていましたら
あっという間に
季節が移っていって
しまいました
本当に常ならずだな
と思いますね
前回は
仏教の最も去り難き煩悩として
貪・瞋・癡の
貪・瞋についてお話してみました。
今回は
癡(チ)にチャレンジしてみようと
思います
ところで
情けは人のためならず
というのがありますね
これは
情けをかけると
それはその人のためにはならない
という意味と
情けをかけるのは
人のためではなく
いずれはそのかけた情けが
巡り巡って
自分に戻ってくるんだよ
という意味がある
と聞いたことが
あるのですけれど
皆さんは
どちらの意味だと
思いますか
私は
後者の意味だと思っています
なぜかって言いますと
人にたまたま親切にしたときに
ついついお礼を言ってほしいな
なんて思ってしまっていることがあって
大抵の場合
お礼を言ってくれますので
そんなときは
やっぱり嬉しくなりますが
それでも
相手がお礼を言わないときも
あったりしますよね
そんな時に
この情けは人のためならず
を思い出したりします
でもそのようなこと抜きにして
人に優しく出来たら
それだけでなんだか
嬉しいものですね
9月の始めに
本校では文化祭が
ありました
私のクラスでは
トランプなどのゲームを
企画していたようです
それが9月に入って
すぐにその企画が
ボツになっていたことが
発覚しました
その企画を仕切っていた
クラス代表の生徒が
企画が通ったと
勘違いしていたようです
トランプゲームは
時間がかかり
たまり場になってしまう危険性が
あったからというのが
ボツになった理由でした
そのことが発覚して
てんやわんや
になってしまいました
夏休み中も
準備をしていたようなのですが
そのクラス代表の生徒と
その他の生徒が
ちょっとあったようで
その代表の生徒は
さらにやる気を
なくしてしまっていました
文化祭に参加できるのだろうか
どうするんだろう
と私は内心心配でした
そう致しましたら
いつも当たりの強い女子生徒が
中心となって
ほとんど徹夜して
企画を
考えてくれました
学校には様々な教科の先生方が
おられるので
それぞれの先生方にお願いして
ご自分の教科に関連した問題を
三択で答えられるように
考えて頂き
後はイントロクイズも交えて
ビンゴも取り入れて
とてもバランスよく出来上がりました
正直言いまして
私の教師生活で
一番高校生らしい出し物だった
と思います
クラスの生徒が
皆で協力して一丸となって
来てくれた人々に
とても楽しそうに
応対している姿を見て
私はとても嬉しくなりました
こんなに素晴らしい文化祭になるなんて
とても想像できなかったからです
おかげさまで銀賞を
取ることが出来ました!
でも文化祭が終わった後に
中心になって
仕切ってくれた女子生徒が
自分たちだけが
大変な思いをした
と言い始めたのです
それでいろいろあったのですが
私はその生徒に
次のように言いました
宇宙にはね
目には見えないのだけれど
手帳があるんですよ
その手帳にはね
私たちの善い行いも
悪い行いも
全て記録されているんですよ
だからね
自分のやった善い行いが
たとえ人から
評価されるようなことが
なかったとしても
陰徳、つまりね
善い行いが心に
貯金されていくことに
なるんですよ
そしてそれは
あなたが困った時に
必ず力添えをして
もらえるのですよ
例えばね
事故にあって亡くなる人と
奇跡的に助かったりする人
がいるよね
それはこういうことが
関わっているのではないか
と思うのですよ
その生徒は
不思議そうな顔を
していました
その生徒はその時から
少しずつ変わってきているように
思います
つくづく
自分も何で私だけ
こんなに大変な思いを
しなければならないのだろう
と思うことがよくあります
特に、やってもやっても
仕事が終わらない
そんな時は
本当に叫びたくなって
しまうんですね(笑)
いけない、いけない
なんで自分だけという意識は
次の悪い果へと
つながっていってしまうのですから
つまり
嫌々ながら行えば
それは悪い因となる
感謝して行えば
それは善い因となる
そして今の私は淡々と
行ってみようか
と思っているところです
まさに今の意識が
行動に現れて
私たちの未来を
作っていく
そう考えると
今のこの一瞬一瞬を
大切にしたいと
思います
Total Unwiseness
完全な 知恵の無いこと
癡(チ)
は上記のような理(ことわり)が
わからないことを
言うのではないかな
と思います
こんな風に
考えられるようになったのも
維摩会で仏教哲学を
学んだおかげです
仏教ってなんて
面白いんでしょう!
How wonderful Buddhism is!
(仏教って何て素晴らしい!)
仏教哲学は
生き方を変えます
Total Unwiseness
癡(チ)
Three Poisons extremely strong desire
violent uncontrollable anger
total unwiseness
三毒 貪(トン) 瞋(ジン) 癡(チ)
What a wonderful time! in 維摩会春秋館 (維摩会春秋館で過ごす素晴らしい時)NO20
Three Poisons extremely strong desire
violent uncontrollable anger
total unwiseness
三毒 貪(トン) 瞋(ジン) 癡(チ)
仏教では
最も去り難き煩悩として
この貪・瞋・癡の3つ
をあげています
毒と表現しているところが
すごいですよね
これらの恐ろしい煩悩が
自分自身を毒している
というのに気が付いたのは
仏教を勉強してからでした
それまでの私は
いつものパターンですが
何でこんな思い
しなけれりゃならないのって
責任を他に転嫁して
恨めしく思っていただけ
だったのですから
責任を他に転換するとか
恨めしく思う
ということに気付いたのも
維摩会で仏教を
学んでからのことでした
随分前のことですが
実は私は10トントラックと
衝突した経験があります
その時
私は軽自動車に
乗っていました
右からそのトラックが
迫ってきていて
私は
そのトラックが走ってきている県道を
直進しようとしていました
左を確認してOK!
と思って直進したら
直ぐ右には
そのトラックが来てしまい
そのトラックの運転手の方の
ものすごい形相があって
私の軽自動車の右側に
トラックがぶつかりました
事故の時って
スローモーションのようだって
聞いていたんですけど
本当にスローモーション
のようでしたよ
ぶつかった瞬間に
体を左側にくるっとひねったことだけは
覚えていましたが
その後私は
気を失ってしまったようです
気が付いたら
斜め向かいの墓石屋の敷地内に
私は車ごと移動させられていました
運転手席側の右のドアは
大破してしまい
私は左側のドアから外に出されて
救急車で運ばれました
前夜に
「羊たちの沈黙」という映画を見て
レクター博士(でしたっけ?)が
救急車で運ばれるシーンがありました
まさか自分がその翌日
救急車で運ばれることになろうとは!
事故の当日の朝
春休み中だったのに
学校に行きたくなくて
行きたくなくて
とても気分が悪かったんです
その時
自観法をやっていれば
きっと事故は回避できていた
と後で思いました!
結果
私は右の肋骨を6~8本
骨折しました
その時も何で私がこんな目に
遭わなければならないのだろう
と思ってしまいました
すでに維摩会には入っていた
のですけれどもね
でも私は思います
もし維摩会で
学んでいなければ
その時の事故で
私は死んでいただろうって
父がすぐに駆け付けて
くれたのですが
その時父は私の車を見て
私は死んだと思ったそうです
なんせ私の車の運転手席側が
滅茶滅茶につぶれてしまって
いたからなんですね
その割には血が飛び散っていないと
不思議に思ったそうです
そして私が生きていたので
びっくりしたそうです
おかげさまで10日ほどで
退院して後は2か月ほど
自宅療養して
仕事に復帰することができました
後遺症も全くありません
事故にあった後は
何だか付き物が
とれたみたいに
とてもすっきりしたのを
覚えています
実は痛みで夜も眠れないくらい
だったのですが
この話をすると
皆、よく生きていたと
言ってくれます
この事故をきっかけに
私は自分という人間が
どのような人間なのか
振り返ることを
真剣に始めました
自分では当たり前のことと
思っていましたが
私には気に入らないことがあると
激怒する性質がありました
激怒した後は
ものすごく気分が悪くなります
まさに毒を飲まされたような気持ちに
なるんですね
また、私は浪費家で
洋服など買うのが大好きで
よく表参道や銀座に
行っていました
物を買っている時は
スカーっとするのですが
しばらくすると
また、欲しくなってしまうんですね
この時
とても虚しい気持ちに
なってしまうんです
このようなことが
事故の原因の1つになっている
のではないかと思います
私はこの自分の毒に
苦しみました
でも維摩会で
仏教を学んで
本当に救われました
私のような者でも
変わることができるんだ!
と希望に満ち溢れました
この事故から
私の人生は
実は好転し始めたんです
もう本当に信じられません
私はこの三毒と
戦い続けます
この三毒が完璧に去る日が来ることを
確信して!
Three Poisons extremely strong desire
3つの 毒 極端に 強い 欲望
violent uncontrollable anger
暴力的で 抑制できない 怒り
total unwiseness
完全に 知恵のないこと
Three Poisons extremely strong desire
violent uncontrollable anger
total unwiseness
三毒 貪(トン) 瞋(ジン) 癡(チ)
What a wonderful time! in 維摩会春秋館 (維摩会春秋館で過ごす素晴らしい時)NO19
I was called!
私は呼ばれた!
夜中に瞑想をしていました。
いつもなら、スーッと
穏やかな気持ちになり
集中していくことが
出来るのですが
その時に限ってどうも
落ち着きません
胸騒ぎがして
いてもたっても
いられなくなりました
どうしたんだろう!
思い浮かんだのは
実家に置き去りにしてきた
思い出のアルバムでした
実家には
高齢の父が自営業を営み
一人で住んでいましたが
弟夫婦が同居することになり
建て替えをすることに
なったんです
それで一時的に転居することに
なりました
実家に置いてあった
思い出の品々を全部
持ってくることは
出来ませんでした
アルバムは一冊だけ
持ってきました
それ以外の
子供時代や
大学時代の思い出や
ヨーロッパや
カナダやアメリカなどを
旅行した思い出のアルバムは
1ページ1ページ
ページをめくって
お別れをしました
名残惜しかったのですが
それをそのまま
置いてきてしまったので
突然気になりました
個人情報だし
そのままきちんと
全部捨ててくれるだろうか
もし悪用されたら
どうしようと
思いました
自分のいい加減さに
うんざりしました
とても気分が悪くなってしまい
瞑想どころでは
なくなってしまいました
情けない!
こんなことで平静を
失ってしまうなんて!
もう実家は取り壊しが
始まっていると思いました
それはその日
父を病院に連れていくときに
実家の前を通りかかったら
ガスの工事をしていたからです
明日は実家に行って
確認しようと思い
何とか眠りにつきました
仕事が終わってから
実家に向かいました
実家の前を通りかかると
シャッターが下りていましたが
2階は窓も外れていて
むきだしになっていました
そこでそのまま行けば入れたのですが
その時は
シャッターの鍵がないと入れない
と思い込み
父から鍵を借りようと
弟夫婦と父が仮住まいしている
マンションに向かいました
到着すると
弟から
シャッターの鍵は開いている
でも電気もガスもつかないよ
すごい状態だよ
土足のまま行った方がいいよ
と教えてくれました
父も
何ともいえない気持ちだ
と言っていました
見送りにきてくれた
父に別れを告げ
実家に向かいました
シャッターは開きました
シャッターを閉めると
真っ暗になりました
見ると裏の勝手口のドアも
外されていました
ネズミとかゴキブリがいたら
どうしよう
と思いました
手探りで
2階に行きました
床は汚れて濡れていました
あちこち物が散乱して
棚などが倒れていました
ひどい状態でしたが
思ったほどではありませんでした
はたして
アルバムはあるのだろうか
と思いました
残念ながら
私のアルバムは一冊も
ありませんでした
でも家族の古いアルバムが1冊
残っていたので
それを見つけた時は
とても嬉しくなりました
思い出がたくさん詰まった
実家でした
それが無残な姿を
示していたのを見て
涙が止まらなくなりました
ここで自分は育ち
そして成長することが
できました
この家があったからこそ
今の自分はあると言えます
そう思いましたら
また涙がこみ上げてきました
心から家にありがとう!
と感謝しました
そういたしましたら
昨日から重くのしかかっていた何かが
静かに解けていったように思いました
そして家も喜んでくれている
そんな気がしました
家が私のことを待っていてくれたのだ
と思いました
最後の別れを告げたかったのだ
と思います
私は、実家に呼ばれたのだと
思ったんです
この実家のことは
私の心に永遠に
刻まれるでしょう
私はこの時に
大変畏れ多いこととは
思いますが
御釈迦様の
次のような御言葉を
思い出しました
それは
維摩会仏教哲学の講義で
聞いた内容なのですが
御釈迦さまは
晩年疫病にかかり
御亡くなりになられる前に
あちこち訪れになられた地名を
懐かしそうに
御話になられるんですね
まるで目の前に
御釈迦様がいらして
その御言葉を
仰っているかのようだったんですよ
この講義を聞いた時
涙が滝のように流れていきました
この時の感動を
どうやって伝えたら
お分かりいただけるでしょうか
言葉が見つからなくて
もどかしくてたまりません
この御言葉を思い出し
また涙があふれていきました
本当に人それぞれの
人生がありますね!
私は
いつも贅沢を
好んでしまいました
私の家は決して
裕福な家ではなく
他の裕福な家と比較して
そのことが羨ましい
と思うことがありました
今思うと
こんな自分を
本当に情けなく
思います
私は今は全てに
感謝したい気持ちで
一杯になりました
ただただ有難うございます
ただそれだけを言いたいです
I was called!
私は be動詞で過去形 callは動詞で「呼ぶ」という意味で
ここは過去分詞形で
「呼ばれる」という意味になる
be動詞 + 過去分詞で
「~される」という受け身の意味になる
また、ここではbe動詞が過去形なので
「呼ばれた」の意味になる
I was called!
私は呼ばれた!
What a wonderful time! in 維摩会春秋館 (維摩会春秋館で過ごす素晴らしい時)NO18
Commit yourself!
委ねてみたら!
こうでもないし
そうでもないし
ああでもない
じゃ、いったい何なの?
って言いたくなりますよね。
こんな風に
否定ばかりしていては
どうしたらいいか
わからなくなりますよね。
でも
本当にそうなのかな
と思ったことがあります。
否定することによってのみ
全てのものには
絶対性がない
ということを説いた
中論で有名な
竜樹尊者という御方が
いらっしゃいます。
肯定してしまうと
そこに、自性(絶対性)を
認めてしまうことになるんですね。
だから、否定するしかない。
否定することによってのみ
真実とはこういうものなのだ
ということを明らかにしよう
となさっているようです。
中論というのは
真ん中ですから
どちらにも偏っていない
ということのようです。
竜樹尊者は
決して感情に左右されることなく
透徹した論理で
あらゆる偏りから離れた空というもの
を説かれたようなんですね。
本当に簡単ですが
私の理解している範囲で
お伝えすると
以上のようになります。
何故、空観論とは言わないで
「中論」と言うのかも含めて
詳細は是非
維摩会の仏教哲学第13回を
聞いて頂きたいと思います。
とても専門的なのですが
大変分かりやすく
説明してあります。
このわかりやすさは驚異的ですね!
こうして仏教哲学を勉強し始めると
自分の中の何か頑なな塊が
崩壊していくような気がします。
それは不思議な感覚です。
なんとその竜樹尊者が
易行品も説かれているんです。
難行を修められた竜樹尊者が
易行品を説かれているなんて!
易行品というものには
浄土思想が述べられている
ようです。
「・・・阿弥陀仏などの
・・・名を唱えて
一心に念ずるならば、
やはり不退転の境地を
得ることができる」
あの竜樹尊者が
念仏を唱えよ
と仰っておられるのです。
これはもう驚きでした。
私は元々ストレートネックで
中学生の頃から
肩こり、片頭痛が激しくて
肩にはサロンパス
こめかみにはピップエレキバンを
手放すことができなかったんですね。
それで、
ヨガをやったり
水泳をやったり
柔軟体操をやったりして
少しはよくなったかな
と思ったんですが。
ひどくなると
寝ている時に
頸椎を捻挫してしまう
ということが
度々ありました。
その後
維摩会とご縁ができて
行法を行っていくうちに
精神はもちろんのこと
体も柔軟になっていき
ピップエレキバンを
手放すことが出来たんですね!
それはそれは嬉しくって!
でも最近、
仕事が激忙なのと
父の介護のことも加わって
久々に
借金はないのですが
首が回らなくなり
頸椎捻挫をしてしまいました。
いつもすぐに治るのですが
今回ばかりは
結構こたえました!
寝込むほどになってしまい
あまりに辛かったので
こんなことで甘えていいのか
と思いつつも
「神様、どうか助けて下さいますように!」
とおすがりしてしまいました。
その瞬間に
ふっと気持ちが軽くなり
安心感が全身に広がっていったんですね。
そしてスーッと痛みが和らいでいき
午前中休んで、
午後からは仕事に行けるようになりました。
苦しい時だけ
御神仏におすがりするなんて
なんていやらしいんだろうって
心のどこかで
思っていました。
でもこれは本当に
傲慢だと思いました。
自分の力でできることなんて
あるのだろうか!
いつも
させて頂いているのではないか
と思えました。
あの竜樹尊者も
仰っているではないですか。
念仏を唱えなさいと!
でもここだけを取り出して
御神仏に御すがりするのは
間違っていますよね。
だって竜樹尊者は
その前に難行苦行を
修せられていたんですもの。
それがあってこその
易行品なのですから!
やはり精一杯生きていこう!
力の限り!
そしてどうしようもなく
辛い時には
遠慮なく御神仏に
甘えさせて戴こう!
Commit yourself!
・commitは「委ねる」という意味の動詞 あなた自身を
・動詞が文頭に来ているから命令文に
なります→「委ねなさい」
→「あなた自身を委ねなさい」
Commit yourself!
委ねてみたら!
NO17 What a wonderful time! in 維摩会春秋館 (維摩会春秋館で過ごす素晴らしい時)
Don’t miss the sign!
サインを見逃すな!
毎日ルンルンで
楽しくてたまらない!
そんな風に過ごしてみたいですよね。
いえ、そんなことありえませんか?
実のところ
毎日
気に障る、嫌なことばかり
これもつらいですね。
ところがこれが
サインなんですね。
嫌なことが起こると
なんでこんな嫌な目に
あわなきゃならないの!
って怒り心頭で
相手のことを恨んでしまう。
これよくあるパターンです。
でもこれは本当に恐ろしいことだ!
とあらためて
本日の維摩会の指導で
思いました。
今日は
因縁についての話
がありました。
衝撃的でした!
いつもあまりにわかりやすくて
客観的で
きちんと論理的に説明してくれるので
本当に驚きです!
嫌なこと
苦しいことは
サインなんですね!
お前が過去に
これだけの嫌な思いを
相手にしたんだぞ!
ということを教えてくれている
サインなんですね!
今日そのことが
あらためて身に
ずっしりと迫ってきました。
こんな風に教えてもらえるなんて
本当に有難いことだと思います!
この時こそが
改善の最大のチャンスなんです!
国家レベルで
相手の罪もない人々を
苦しめたりする戦争なども
大きな因縁となって
その張本人を襲うのですね。
大抵は早死にするか
子供を失うことになるようですね。
因縁は
本当に複雑に絡み合っているので
一言では到底お話できるもの
ではないようですが。
自分の日々の行いというものを
本当に反省して
改めなければならないと
強く思いました。
痛い目に合わせていただけるうちが
改善のチャンスです!
死んでしまったら
改善のしようもありませんから。
最もそれが罪をつぐなって
人柱になって
国を支えていくことになることも
ありえるのかもしれませんが。
うーん
なんかすごいことだ。
ただ
天にひれ伏して
自分の傲慢を
お詫び申し上げて
日々の少しの努力と
明るく
人に尽くす思いを忘れずに
生きていこうと思います。
礼儀を心掛けて
生きていこうと思います。
こうして生かして頂けているということは
本当に有難いことです。
改善のチャンスを
与えて下さっている
ということですから。
それでは
これからも一緒に頑張っていきましょう!
Don’t miss the sign!
~するな 見逃す サインを
・動詞の原形(この場合はmissですが)で
始まるのは命令文(~しなさい)
・否定の命令文にするには、
Don't + 動詞の原形で
「~するな」の意となる
Don’t miss the sign!
サインを見逃すな!